2005年度冬紹介

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アーモンド入りチョコレートのワルツ

大好きな絹子先生とのピアノレッスン。大人しい奈緒と勝気な君絵は自由な雰囲気の中、色んなことが起きるこのレッスンに惹きこまれていく。名残惜しむように自然と生まれた、レッスン後のワルツの時間。週に一度のもう一つの幸せなひと時だ。バタークッキーの香りが漂う中、ワルツのメロディーに合わせてステップを踏む。奈緒と君絵は音や空間や光までもが踊りだす時間を満喫する。でもそんな大切な時間はいつまでも続かない。奈緒と君絵は覚悟を決め、自分たちを貫きワルツの時間にけじめをつける。ドキドキする展開と、変わり者たちの突拍子もない言動が心地よく響いてきます。

秘密。私と私のあいだの十二話

総勢12人の作家による短編集です。短編集には違いないのですが、特徴としてこの小説にはA面、B面と同じ話の中で主人公が変わります。主人公の見た場面(A面)を別の人から覗く(B面)とどうなっていたのかが描かれているのです。つまり主人公の話し相手や電話の向こうの相手などに視点が移り、見えないはずの物語が語られます。また、短い文章の中、人物像がしっかりとし、二つの物語がよく組まれているので、毎度新鮮な感覚で読み進められます。ちょっとした空き時間にどうぞ。

キッチン

人の死が残していく、深い悲しみ。その悲しみをどうやって越えて行くかを描いています。焦らず、時間をかけてゆっくりと。会話や情景描写は気持ちを重点にして流れていくので、表現にその時々の気持ちが色付いています。そして驚いた時や嬉しい時、悲しい時などの表現も独特で、後から沁み込むような感覚が得られます。だから初めは合点の行かないことも、読むに連れ共感でき、物語の人物像が見えてきます。相手の気持ちを察し、重ねることで、疲れきって霞んだ現実に、救いの奇跡が暖かく吹き込んで来ます。

トロッコ

子供である良平の小さな願い—トロッコを押してみたい。そんな良平のずっと夢見ていた願いが不意に叶ってしまう。良平はトロッコ押しの喜びを噛みしめながら進み、押しながら色々と想像してはまた喜んでいた。しかし突然、良平は現実に引き戻される。今まで散々歩いた道のりを引き返すことになってしまう。純粋な気持ちには、思い込みが過ぎたのだ。襲い来る絶望を前に、良平はただ走る。良平の願いが叶ったときの様子や、喜びがたちまち絶望へ変わる様子、ぶつけきれない不安のはけ口の様子、と一連の心の描写が秀逸です。そして大人になっても消えない、幼少に感じた人生の心細さが現実を象徴しているように感じさせます。

オーデュボンの祈り

何かが欠けた島「荻島」。そこに流れ着いた伊藤と住人たちの奇妙な物語。奇妙と言っても悪い意味じゃない。そこの住人も、そこの法律も、その島自体も、全てが不思議で理解を超えているのだ。島を案内されながら感じる不安と疑問そして期待。伊藤は不可解とも思える生活を当たり前に過ごす住人に意味付けしながら、自分の取るべき未来を決めていく。作中では、誰にも止められない大きな流れと、人の本質が新しい世界観で描かれています。

ぼくらのサイテーの夏

6年生の夏、終業式の日、小学校でふざけて遊んでいるうちにぼくは階段から落っこちてしまう。おかげで片手にギプス、前歯も1本欠けてしまった。おまけに毎日学校のプール掃除までするハメに。そうして始まった夏休み。もう、誰が見てもサイテーの夏だ。しかしプール掃除をしているもう一人の変わった奴や、生活指導の先生に刺激されて、ぼくは少しずつこの夏を満喫していく。登場人物それぞれがうまく感化し合い、ぼくを中心に生活に変化が生まれる。硬直した悪い日常を溶かすチャンスが降りてくるのだ。ぼくは自分や家族に足りないものを埋めながら、自分を見据えていく。

見張り塔からずっと

ゴミを漁る姿をよく見られるカラス。お腹を満たすためには手段を選ばない。でも漁るゴミがなかったら?共食いですね。この小説ではカラスになぞってマンションの住人たちを描いています。バブル絶頂時に新築のマンションを買った夫婦と他の住人。地価が上がることで心を満たしていた。しかし地価は下がり始める。満たされない気持ちは行き場を失い、新しく越してきた家族に降りかかる。お腹を満たすためには手段を選ばないカラスのように、住人たちはこの家族を餌食にする。このエサ、甘いが後味は良くありません。

三日月少年漂流記

主人公は同じ学校のクラスメートである二人、水蓮と、銅貨。この小説では紙芝居のように場面が切り替っていき、この二人の男の子が丁寧に言葉を交わしていきます。そんな二人の興味の的は、謎の存在——三日月少年。二人はこの三日月少年の謎を追跡するため家出を決行するのです。先の先まで考えてきた計画を指揮する水蓮と、それに感心しながら付いていく銅貨の様子は、とても可愛く、楽しそうです。最初から最後まで魅力的な謎に満ちた、三日月少年を巡る不思議な冒険が始まります。

1秒の世界

1秒間に起きる世界の変化を、身近な値で知ることが出来る本です。たった1秒の間にも世界は大きく変化していて、地球環境や人間の営みの危うさが伝わってきます。本を読むというよりも知らないことを知るというイメージで、パラパラとめくっていけば何個かはドキッとする例が出てくると思います。テニスコート20面分の天然林が、目を閉じて開けたらもう無いのです。普段から気をかけている人には少し軽く感じるかもしれませんが、実感を伴い、入門的意味の大きい本です。

トワイライト

未来に一体何が残せるだろうか。1970年代、大阪万博の頃、日本全体が多くの未来を語った。アポロ計画、鉄腕アトム、ドラえもん…。21世紀という遠い未来。だがその未来はもう来てしまった。毎日を過ごすのも精一杯。自問の日々。…こんなはずじゃなかった。そう、21世紀はもっと夢があって、もっと輝いていた。そんな時、皮肉にも同窓会が行われ、タイムカプセルを開けることに。未来の自分たちへ送ったタイムカプセルが、今重く語りかけてくる。

坊っちゃん

主人公は無鉄砲で義理や道理に厚い負けず嫌い。そういった損得で決めない言動は、応援しようとすると面白く、敵対すると邪魔になる。教師の職に就いた主人公だが、どうも肌に合わず、職員から敵対視されるばかりで就いて早々四面楚歌。しかし敵ができようが関係ない。正しいと思う様に行動し、何かと回りくどい連中に食って掛かる。そんな無鉄砲で損ばかりしている主人公を、婆さんの清がいつも「坊っちゃん、坊っちゃん」と応援してくれてきた。坊っちゃんは自分の信念を通し、はっきりしない連中に天誅を下す。

つきのふね

親も教師も信用できない、そして友達までも信用できなくなる、そんな時期。そんな時期は、何でもない小さな出来事により今ある全てが壊れてしまう。長い長い全てが壊れた日々。でも、無言のSOSを誰かがきっと聞いている。この物語では、心にSOSを持った人たちが出てきます。突然親友でなくなってしまった二人の女の子や、好きな人をつけ回す男の子、本気で人類を助けようとして心が病んでいく青年。そんな人達が小さな出来事を重ねて、傷つき傷つけ、救い救われる。

69(シクスティナイン)

つまらない時代を楽しい時代に変えてやる。この小説は1969年の思い出を1987年に書いている。そんな昔の小説が今(2005年)でも読まれ続けている。きっと楽しさを求めて大人と戦っているのは今でも同じことなのだろう。やろうとしていることは難しそうだが、しかし中身は単純明快、楽しんだモン勝ちの大暴れ。冗談や嘘は当たり前、やりたいことのために突っ走る青春小説。